011_アメリカで仕事のやりがいについて悩む話
最近の悩み事と被ったので、少し語りながら仕事のやりがいについて語ります。
私は現在アメリカの企業に出向しています。
メーカーに勤めていますが、業務内容としては日本にいた頃に実施していた業務をアメリカの拠点で実施している感じです。
つまり同じ仕事をしているはずなのですが、人が違ったり、背景や環境が違ったりでやはり大きな変化があります。
日本のやり方は日本でしか通用しないし
そんな当りまえに想像できていたことを毎日身をもって感じながら、仕事における”やりがい”についてよく考えています。
私の企業の場合のみかもしれませんが、私はモノづくりメーカーに勤める身として、現場・現物を推進しているアメリカの風土を好んでいます。
日本にいたときも、私は自分の仕事にやりがいを感じていました。
メーカーの製品開発にかかわっている人は同意いただけるのではないかと思いますが、私にとっては最終的に製品が出来上がりお客様の手に渡る、それが最大のやりがいです。
そしてその製品がお客様に迷惑をかけず(不具合を起こさず)、夢を与えられるような楽しさを与えられるようになっていたらいいなと思いながら日々モノづくりを進めています。
実務として、「製品ができあがった」というやりがいを感じるシーンを、しょっちゅう引き起こせるほど開発期間の短い製品を取り扱っているわけではないため、より小さなことで”やりがい”を感じるよう自分の意識を無意識のうちにシフトさせています。
日本にいたときは、ただパワポやエクセルで資料をまとめることにもやりがいを感じていました。
それが自分自身得意だったし、それが何かのためになると思っていたからです。
実際に、何かのためにはなっていたと思います。
アメリカに来て感じるのは、何かを説明するのにパワポはいらない、エクセルもいらないということです。
もちろん、マネージメントへの説明に当たっては状況整理説明のために綺麗なパワポを作った方がいいでしょう。
ただ、「問題があります」という話を説明するのに、一生懸命パワポをこさえる意味は特にありませんでした。
日本では「問題が起きました」と説明し、モノを見てもらうために一度会議をもって、パワポで事象を説明して、事象が理解され、合意がもらえたら物を見てもらうために車で2時間の出張をしてもらう、もしくは部品を送付してみてもらう・・。そういった業務上の流れがありました。
私はそれが凄く嫌いでした。
とくに今の企業に入りたてのときは、そんな(くだらない)プロセスがあると知らず「問題があるのになぜすぐに判断できないんですか?」と自分より30歳以上も上の男性(役職もある方)に発言して、上司に正式なクレームが来たくらいです。若かったです。
ちなみにいうと、日本ではこのパワポを他部署に提出するのに上司の合意が必要で、しかも写真や動画を付けようもんなら、他部署に許可をもらう必要もありました。
もちろん情報セキュリティ、秘匿の視点からこの手のプロセスが必要なことは理解しています。
ただ、個人としてこの手のプロセスが「必要だ」と感じたことがありませんでした。
それでもやらなければいけない。
何故ならそういうルール(基準)が存在していたからです。部署間の合意事項です。
くだらないパワポを作ることも、それに上司のハンコをもらうことも(実際にはただのOKという一言)、すべてが基準化されていてそれを外れようもんなら部署間の会話が成り立たなくなります。
ただただシンプルなレポートを、複雑なプロセスをもって作り上げ、複雑な人間関係・部署間関係のなかで合意に結び付ける。
そして、渡米前の私はこの行為・このプロセスが完遂できたことに「やりがい」を感じていました。
哀しいかな、私が新入社員を部下にもっていたときは、これを一つのやりがいであることを伝えながら、最終的にものを良くしているのである、という遠く離れた本来のやりがいとともに部下をモチベートしていかなければいけなかったりもしました。
自分で「モノをみよう」なんて現場現物の精神を伝えながら組織や仕組みがそうなっていませんでした。
そして私は今、この日本で必死にすがっていた「やりがい」が
私が感じるべき「やりがい」ではないと考えるようになりました。
アメリカにいると、驚かされるほど人々が自分の責任範囲にStickしています。
日本と比べて、責任範囲を超えてサポートしようとする人はあまりおらず
冷たい気もしますが、責任範囲とわかれば話はすごく早いです。
そして日本だと責任範囲を超えてサポートをする=通常の業務外のことをボランタリーにやるイメージですが、アメリカはこの手の「よくわからん部分が出たらまずはこいつが行く」という役割担当のチームも作ってたりします。
なので案外誰がこの問題の責任者?みたいな話も起きにくい。
問題が起きたことに対して「この情報をよこせ」「パワポにまとめろ」と言ってくる人はいません。
電話して「こういう問題が起きたんだけど」と説明するとすぐに次のステップを踏んでくれます。
私が日本で1週間かけていた”問題の共有”という行為が、たった5分の電話で収まるのです。
それを繰り返すたびに、私は今まで何にやりがいを感じてたんだと疑わしくなってしまうのです。
私の仕事は、
お客様のところに良い製品を送る。
なのに
その目的を達成するためのプロセスの、しかもやっぱりどう考えったって無駄なプロセスにやりがいを感じていました。
今は良い製品を作るためのアクション、一つ一つにより集中が出来ていて、実際に良い製品になる様を、モノを通して確認できています。
ほんの少しの変化だったり、「前回までは起きていた問題が起きづらくなくなった」などという微妙に効果が見えにくい変化でも、確実に最終形態がエンドユーザーにとって良いものになっていく様を確認できてます。
駐在していて、辛いと思うことも多いです。
上司がちょっとアジア人嫌いで、嫌味なことを言われることも多かったり、新たな環境・新たな仕組みの下で、一から覚えることも多かったりと、「もう何年もこの業務に携わってきたのにまた一からか・・」と思うことも多かったり。
それでも、最終的な製品がどんどん良くなって、自信をもって「これならお客様に渡せる」というモノにできる、その変化を自分が一員として携わって動けるこの環境がとてつもないやりがいにあふれているように感じるのです。
今の一番の悩みは、帰国後のキャリアについてです。
先ほどから発言している通り、私はアメリカにきて本来感じたかったやりがいを感じることが出来ています。
「やっぱりあれはおかしかった」と、過去の日本の仕組みや働きに対して嫌疑的な目を向けています。
この状態で日本に帰ったら、きっと日本の仕事が嫌になり、すぐに辞めたくなってしまうと思います。
どんだけ綺麗なパワポを作ったとしても、やりがいが無い、と感じてしまいそうだからです。
じゃあアメリカで感じているやりがいを、私より若い子たちがどんどん感じてより良いモノ作りに専念できるように、組織や仕組みを変えることに注力するか?
それってどんくらい時間がかかることか?環境が全然違う日本で本当に可能なのか?その間私はどこにやりがいを感じればいいのか?
現状悩みは解決できません。
ただ、アメリカに来て良い経験ができて、この”やりがい”に対する視点をリセットできたことは、赴任したことによって得ることができた大きな変化だし、これを人生のターニングポイントに出来るよう今後のキャリア設計をしていこうと考えています。
オチがないですが、終わり。笑